なになに暮らし

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2025年大阪万博決定 70年の大阪万博を振り返り思う、父との思い出

2018年11月25日 [ 2025 大阪万博 決定 ]
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24日のyahooニュースで

2025年に大阪万博が決定したと知りました。

 

日頃テレビを見る事もないので、

2020年に東京オリンピックがある、

ということくらいは知っていましたが、

日本、大阪が万博誘致に動いていたなど

正直知りませんでした。

 

それでいきなり

大阪万博開催を知ったのですが、

そのニュースを見たとたん、

じわじわと胸の奥から

湧き上がってくるものがありました。

 

約50年前の大阪万博の断片的な記憶です。

 

当時、小学校低学年だった私は父に連れられ

大阪万国博覧会に行きました。

後にも先にも1回きりの

父とふたりの旅行でした。

 

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2025年大阪万博決定 70年の大阪万博を振り返り思う、父との思い出

寝台列車

仕事一筋で、

会社を休むなどありえない父でしたが

その数日間、

父は仕事を休んだのだろうと思われます。

 

父がなぜ、万博に行こうと思ったのか、

なぜ、私だけを連れて行ってくれたのか、

ずっと疑問でしたし、今でも疑問です。

 

行きも帰りも寝台列車だったと記憶しています。

寝台列車の窓から見た真夜中の駅の光景は

不思議な世界でした。

 

時々停車する駅には、駅員さんなのか、

明りに照らされて、

ひとり、ふたりの人がポツンといるだけです。

電車が停車するたびに、

カーテンをちょっとめくってその様子を見ては

ベッドに座って

手でつくった蝶や犬の影絵を壁に写して

夜通し遊んでいました。

 

初めての寝台列車で、

ちょっと大人になった気分もあり、

気持ちがハイになって

眠れなかったのを思い出します。

 

2025年大阪万博決定 70年の大阪万博を振り返り思う、父との思い出

民泊

宿泊は一般の民家のような所でしたが、

入り口だけは

ちょっと旅館ぽかったようにもあります。

おばちゃんがいましたが、

親戚、といった感じではなく

そこで食事した記憶もないので、

たぶんお風呂と寝るためだけの、

今でいう民泊のような感じだったと思います。

 

数日間、毎日そこから電車に乗って

万博会場に通いました。

どこかで食事をしてから帰ってきたのか、

何か食べ物を買ってきて

そこで食べていたのでしょう。

 

お風呂は一般の家庭程の小さなもので、

父と一緒に湯船に浸かっていました。

何か話したりしていたのか

記憶にはありませんが、

そうやって父とふたり、数日を過ごしました。

 

2025年大阪万博決定 70年の大阪万博を振り返り思う、父との思い出

父の思い

父は会社も休んで

大阪までの往復交通費、宿泊費、と

当時としては大金だったと思います。

できれば家族みんなを

連れて行きたかっただろう事は

想像できます。

 

そんな中、唯一連れていけた私には

これからの未来を見せてあげたい、

いろんな新しいものを吸収して欲しい、

という思いもあったのではないかなあ。

 

子ども時代の私は大人しく生真面目で

面白味のない子供だったと思います。

嬉しい、とか楽しい、とかを

あまり表現する事もなく、

特に化学や未来に興味がある子供でも

ありませんでした。

 

なので、

毎日様々なパビリオンを見て回りましたが、

たぶん楽しそうには見えなかったと思います。

 

何年か前まで当時の写真がありましたが、

笑顔もなく、

パビリオンをバックにきちんと立って

写っているものばかりでした。

 

父の思いを察するに、

申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

2025年大阪万博決定 70年の大阪万博を振り返り思う、父との思い出

万博会場入り口

万博会場の入り口はとても開けていて

階段を上ると

万博のシンボル「太陽の塔」が

姿を現します。


出典 https://www.sankei.com

 

太陽の塔の周りを囲むように

通路が作られているため、

首から上だけ

ひょっこり顔を出しているように見えました。

 

そこから「動く歩道」に乗って

会場内に自動的に運ばれていきます。

今では空港や駅構内で常設されている

平面エスカレーターですが、

当時それは最新の設備であり、

動く歩道が進んでいくにつれて

どんどんワクワク感が増していく感じでした。

 

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2025年大阪万博決定 70年の大阪万博を振り返り思う、父との思い出

月の石

大阪万博の目玉でもある

アメリカ館の「月の石」は

さすがに人気でした。

 

長蛇の列の流れるままに、立ち止まることなく

月の石の横を流れていきました。

透明の大きなケースの中に鎮座している月の石。

ただの石ころ、というか石の欠片でしたが、

周辺の厳重な雰囲気に

これって貴重なものなのかな、

と思ったくらいでした。

 

アポロが月面着陸した時、

父はその映像をずっとカメラで取っていました。

後に出来上がってきたのは、

何十枚という

ただのグレー一色のテレビ画面の写真でした。

きっとその時に採取された石だったのでしょう。

 

父としては、どうしてもその目で

月の石を確認したかったのかもしれません。

できれば私と一緒に見たかったのかなぁ。

 

2025年大阪万博決定 70年の大阪万博を振り返り思う、父との思い出

パビリオン

父と毎日通った万博会場には

様々なパビリオンがあり

見たことのない珍しいもの、

新しいもので溢れていました。

 

アポロの月面着陸で宇宙を制覇した後は、

海底を制覇すべく、50年後の海底都市構想を描いた

三菱未来館。

それによると、50年後の今、

私たちは海底に住んでいたはず。

 

しかし、振り返ってみると

新幹線で日本列島が

ひとつにつながることや、

ワイヤレステレフォンの発達などが

当時すでに予測されていたとは驚きです。

こんなスマホ時代がやってくるなんて!

 

夢物語だと思っていたことが

常識として現実になっている今を、

当時の私に教えてあげたらどうだろう。

きっと科学の道に進んだでしょうね。

 

今では100均でも売っている

光ファイバーですが、

それを初めて日本館で見たときは

ラインの先が虹色に移り変わる美しさに

魅了されました。

ドームの内壁全体に映像が映し出されて

あたかもその世界いるかのような

臨場感を体感したみどり館のアストロラマ。

 

どれもこれも、

見たことのない未来の世界を

目撃している感覚でした。

 

しかし、最も記憶に残っているのは

パビリオンの外を行きかっている

外国の人々です。

 

浅黒く、彫りの深い顔立ちやのインド系の女性や、

ダイナミックバディの白人を

初めて間近でまじまじと見てしまい、

違う生き物ではないのか、

自分と同じ人間なのか、と思ったものです。

 

コンビニ店員のほとんどが

日本人ではない時代がこようとは、

微塵も想像できなかった時代です。

 

2025年大阪万博決定 70年の大阪万博を振り返り思う、父との思い出

2025年大阪万博

55年ぶりに再び大阪で開催される万国博覧会。

2020年の東京オリンピックに続き、

弾みがついた形ですが、

あの高度成長期の活気あふれる日本を

再び体感することができるのでしょうか。

 

予算やカジノ構想との兼ね合いなど

検討すべき問題はこれからが本番だと思います。

しかし、無気力、無関心の

曖昧な時代だからこそ、

未来を夢見て、思いを馳せ、心沸き立った

50年前の日本をもう一度感じたいです。

 

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2025年大阪万博決定 70年の大阪万博を振り返り思う、父との思い出

子どもたちへ

現代のちびっこたちのまわりには、

あまりにモノや情報が溢れ、

日常的に刺激的なモノに浸っているので

今回の大阪万博で、50年前と同じように

単に未来を夢見る、という感情には

なれないと思います。

 

しかし、2025年大阪万博が

これからの長い人生でふと振り返った時に

何かのキッカケになったり、

心に引っかかるものに出会えれば

素晴らしいな、と思います。

 

今になって

私にとってはそれが

父との思い出なのかな、と思えています。

そして

再び大阪で万博を見られることに

歓喜している同世代の方々とも

この喜びを分かち合いたいです。

 

 

 

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